得ようと思って得られるものなんて、たかがしれてるんじゃないだろか。

沖縄の離島で、つくづく思ったこと、です。
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可能な限りオフラインにして、本も持たず、3泊4日を小さな離島で過ごしてきました。
おもむくままに眠る、おもむくままに飲む、おもむくままに泳ぐ、
できるだけ頭は使わない、自転車を急いでこがない、急いで歩かない、

ただひたすらぐーたらと過ごして来ました。

ため息出るほどの海を眺め、シュノーケリングで魚たちと泳いで
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空が青すぎる道を、のんびり自転車で帰って
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「喫茶店」とは名ばかりの、民家の軒先で、もずくジュースを飲みながら数時間ごろごろしてたら、おばちゃんが夕ご飯を食べさせてくれたり、
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港そばの居酒屋で昼からビールを飲んでたら、その店の犬がつまみを求めて、ひたすら愛くるしい視線を送ってきたり、
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「あ~、これが”正しい夏休み”ってやつだな」という日々、
なにも「有益」なことはしない、ただ流れるままに身を任せるような旅、でした。

そう考えてみると、とりわけ、ここ十年くらいは、「いかに多くを得るか」という旅ばかりしてきた気がします。
行く前にその土地のことを調べ、その地域の名所には時間の許す限り足を運び、帰路はその土地について書かれた本を読んで「復習」したり…

そして、それは、そのまんま日々の生活や仕事の姿勢でもあったなあと思います。
もちろん、それゆえに得られたことも多く、「我ながら、よう頑張ってきたな」と、振り返ってみて思ったりするのですが、
なんといいますか、最近は、「得よう得よう」と肩肘張って頑張って、それで得られるものって、たかがしれてるんじゃないかな、とも思ったりするわけです。
とりわけ、知識・情報・アイディアみたいな類いは、そうやって強く追い求めている限りは、まあ、その程度のもんしか見えてこないんじゃないだろうかと思うのです。

もっと曖昧で、とてもうっすらとしていて、それでいて、とてつもなく壮大なものを見出すのは、きっともっと違う在り方のときなんだろうなと考えてるわけです。


なんか悟りを開いちゃったみたいなことを書いてますが、
帰ってきて数日、ちゃんと俗っぽい欲望やら願望やらは、いかんなくうごめいておりますし、
そもそも、帰路の飛行機では、いつものごとく思いっきり企画が浮かんできて、ノートの上で練りまわしてたりしてました。

そのあたりの矛盾も、なんだか面白いなあと思うわけです。

東京で、血気盛んな魑魅魍魎がうごめく世界はやっぱり楽しい。
そんな世界のど真ん中で、
鼻歌唄いながら、ゆったりペダルを漕いでいた、あの畦道の風や空気をリアルに思い出して、すっと思考にすり込ませられたら、それはなかなかの強度を持つものになるんじゃないでしょうか。

世界は面白いです。