僕がブログを書く理由ってなんだろう。

昨日、このブログで100記事目という節目を迎えたので、そんなことを考えてみたりしました。

正直言って、怖かったりもするわけですよ。
誰がどんなふうに読んでるかも分からない状況で、自分の意見やら想いやらを書いていくというのは。
twitterでだいぶ慣れたとはいえ、ブログとなると、それなりに蓄積されていく感があります。デジタルネイティブじゃない世代の人間としては、変に構えてしまったりすることもあるわけです。

(そういえば、先日、生粋のデジタルネイティブの人と話したところ、「デジタルネイティブってなんですか」と聞かれて驚きました。
本当にリア充な人は「リア充」なんて言葉を知らない、みたいな感じでしょうか)

「なに生意気なこと言ってんだ」、「こいつ、考え浅っ!」とか思われてるんじゃないか、とか、
現時点での考察が残ってしまうことで、何年か後に「きみの電子書籍に関しての分析、見事に大外れしたね」とか言われたりするんじゃないか、とか
そんなことを時には考えてしまったりすることもあるわけです。

(そう書いてて思い出したんですが、
「数年後には、モバゲーに頭下げる側になりますよ」というようなことを、
6年ほど前の会議で、発言してました。
当時は、まだモバゲーが出たばかりの頃で、見事に皆からスルーされてしまった記憶があります。
今となっては「ブログ書いておけばよかった!」
当然ながら、こういうケースもありますね)

いろんなリスクもあるブログを、会社員である僕がなぜ書くのか。

【 自己顕示欲 】?

これがないとはいいません。
でも、それ「だけ」なら、もうちょっとリスクの低い内容にするはずです。
突っ込まれても、「まあ、そのあたりのテーマは本業じゃないんで」みたいな言い訳ができるあたりを選ぶこともできるので。

【 アウトプットの場を持つことで、思考を高めるため 】?

それもあります。
ただ、それだけの目的なら、twitterやfacebookのほうが効率がいいです。

【 ウェブの空気感たるものを学ぶため 】?

これもあります。でも、上と同様、この目的ならば、twitterやfacebookのほうが効率がいいです。

【 自分の意見を発信できる場を持っておくため 】?

これもあります。

…と挙げていくと、あれもこれも、どれもあるわけですね。複合的な目的で書いてるようです。

でも、
とりわけ「ブログ」で考えた場合、

【 自分をウェブに「露出させる」訓練 】

というのが、とてもしっくりくるように思います。

僕たち出版社の人間は、ずっと、
漫画家さんや作家さん、ライターさんに対し、自らを世の中に露出させていくことを、当然のように求めてきました。

これまでのように、自分たちが場を牛耳れていた時代はまだしも、今後、特権的立ち位置が瓦解していく中、自分たちだけ安全な場所に立って指示を出してれば済むわけはありません。
自分がどれだけ水の中に足を突っ込んでるか、が試される時期は思いの外早く来ると思います。
(もう来てる?)

また、
facebookの驚異的な浸透を見ても分かるように、
「ウェブ上に、一個人の情報がある」という状態は今後ますます普通になっていくはずです。

そうなると、「いかに露出させておくか」ということを各自が考えなくてはならないはずです。

メディアの流れ、世の中の流れ、
どちらから考えてみても、
そうした訓練を今のうちからしておくことは、得るものが大きい、と僕は考えています。


なんて、こんな面倒なことを、いちいち考えながら書いてるわけじゃ全然ないのですが、たまには、こうして言語化してみれることもメリットの一つなのかもしれません。