約1年間のサバティカル休暇を終えて、約2年半が経ち、先日、サバ休(サバティカル休暇 )体験に関する取材を受けました。
その準備として、当時のことを思い出すべく、久しぶりに開いたファイルがあります。

サバティカル休暇の真っ最中、2014年5月に東北大学の「グローバル講座」で話をした際の原稿です。

これが、まるで「講義録の文字起こし」のような書き込みようで、講義前に準備のために書いたとは思えないものでした。自分で書いたくせにびっくりしました。笑
相当、このテーマに対して思い入れが強かったのだなあと。

今の自分が同じテーマで講義を依頼されたとしても、こんなに熱量は込められないのではないかと、少しばかり反省してしまいました。


それだけ強い想いが込められてたものをPCの中に閉じ込めておくのも勿体無いので、ちょっとアレンジして、ここに掲載することにしました。

全部載せると長過ぎるので、本題に入る前の冒頭部分のみですが、よかったらご覧ください。
キティUCLA

■はじめに:教室を出たことない人に、どう声をかける?

少し想像してみてください。
もしも、東北大の学生で、この教室しか入ったことがない、という人がいたとしたら、
皆さんは、どんなアドバイスをしますか?

その人はきっと、「この教室の外に出ると、どんなことになってるか…」と、すごい妄想が膨らんでそうですよね。

怖い先輩がいるんじゃないか…
ハデで異常にテンションが高い超リア充だらけなんじゃないか…
そんな中に出ていったら、ダサい自分は笑われるんじゃないか…とか

でも、皆さんは、そんなことないと知っていますよね。

なぜ知ってるんでしょう?
答えは単純で、この教室以外の場所もたくさん知ってるからです。
学食、体育館、グラウンド、サークル室、ストア、他の講義室……
東北大には魅力的な場所が山ほどあります。

怖い先輩や、ハデで異常にテンションが高い超リア充の人たちもいるとは思いますが、そんなのあくまで一部でしかないですよね。
この教室にもたくさんの人がいるけど、外にはもっと色んな人がいる。

それなのに、教室に閉じこもって、ありえない恐怖を膨らませているなんて勿体ないですよね。

日本にしかいないって、そういうことです。難しく考えることはないんです。

この教室だけで過ごす大学生活と、キャンパス全体で過ごす生活と、どっちがいいか。
どっちが可能性が大きいか、答えは明確ですよね。

「グローバル」なんてものも、それと一緒です。

もちろん、この教室が一番好きだ!って人がいてもいいんですよ。
でも、それは、キャンパス全体を知ってから、やっぱりこの教室が好き、というほうが本物ですよね。


グローバルというのも、その程度のことです。面倒くさいこと考えず、とにかく一回、出ちゃえばいい。

「まずは英語を話せるようになってから…」とか考える必要すらない。
もちろん、英語は必要です。でも、まずは「実際どんな英語が必要なのか」を分かってから本腰を入れて勉強したほうが伸びは確実に早いです。

さっきの「この教室以外、知らない」という人が、「外に出る前に、リア充の人たちのようなノリで話せるようになってから… おしゃれな服を着こなせるようになってから…」とか言ってたら、皆さんは、なんて言います? 

「まあ、それはいいから、まずは外に出ようよ」
ですよね。

結論を冒頭に言ってしまうと、僕が皆さんに言いたいことは、それに尽きます。


■「グローバル」って、案外チョロい

「グローバルキャリアセミナー」なんてところで話をさせてもらいながらなんなんですが、僕はまったくグローバルキャリアなんて持ってません。

英語が全く必要ない職場で15年ほど仕事してきました。
何年か前まで、海外で働くことに全く興味がありませんでした。
つい5年くらい前から興味が出始めてきましたが、それでも日々の生活に英語は全く必要ないから英語力なんてさっぱり伸びない。『日本人の9割に英語はいらない』とか読んで、そんな自分に言い訳してたり。

海外に興味はあるけど、せいぜい一週間くらい旅行に行く程度で、具体的には何もしてない、多くの大学生や社会人と同じ状況でした。

でも、去年(2013年)9月からサバティカル休暇を取って、南アフリカとかルワンダとか、世界各地を周り始めてみたり、アメリカで生活してみたりしている中で、ようやく「あ、グローバルって、こういうことか」と腑に落ちてきました。

たしかに世界は面白い。可能性に満ちてます。
そして何より一番、感じてることは、「グローバルって、案外チョロいな」ってことです。

この感覚って意外と大事です。

今、あちこちでグローバルグローバルって言われてますけど、みんな物事を難しくしすぎなんですよね。

国とかメディアとか、経団連とか、「グローバル化」とかいうのを推進しようとしてる人たちが、むしろ、皆さんのような若い人たちが出て行く壁を不要に高くしてると思います。

本屋行ったら、『世界で戦えるグローバル人材になる方法』みたいな本ばっかり並んでるじゃないですか。

逆に考えてみてください。インド人が日本で働きに来るのもグローバルですよ。そのインド人が『日本で戦う方法』みたいな本を読んでたら、絶対友だちになりたくないですよね。

敵じゃないんですから。戦わなくていいんです。


「グローバル人材」って言われてどんな人物像を想像しますか?

スーパーマンみたいな人じゃないですか?
英語ペラペラ、精神がタフで異文化でも全く動じず、睡眠時間少なくてもバリバリ働けて、リスクを取ることも厭わない、みたいな人じゃないでしょうか。

そんな意識を若い人に植え付けて、一体何のメリットがあるんでしょう。萎縮させるばかりじゃないかと思います。

そういう要素が必要な職種もあることは事実ですが、全然それだけじゃないですよ。

■ゆるめの「グローバル・キャリア」

グローバルがいかにチョロいか、具体例を紹介しますね。

ロサンゼルスで活躍している日本人の美容師さんです。
ハリウッドセレブもいるロサンゼルスで、美容師として通用している。なんだか、よっぽどカリスマ美容師じゃないとやってけなさそうな気がしませんか?

逆です。
私も実際、カットしてもらいましたが、本当にふつうの人でした。

アメリカの美容師は、学校卒業して資格試験に受かれば、すぐにお客さんの髪を切れるそうです。
でも、日本はそうじゃない。閉店後に必死で練習している姿を見たことありますよね。資格を取っても、実際に店でお客さんの髪を切れるまで相当の時間がかかります。新人期間を終えても、今度は新人を教育する仕事が増える。自分で店を持たない限りはその苦労が延々と続くそうです。

その終わらないサイクルに嫌気がさして、日本を出てロサンゼルスに来たそうです。

「楽ですよー」と笑ってました。
日本人の丁寧なカットは現地の人にも評判がいいそうです。
休みも取りやすいし、勤務時間も割と自由に決められるそうです。

これも一つの「グローバルキャリア」です。
全くスーパーマンじゃない。

■日本で生まれ育った時点で圧倒的に有利

もちろん職種によりますが、僕の感覚としては日本でそこそこやれてる人は、その技能は世界基準で上位1割に入れると思います。

グローバルチョロい、という理由はそこにあります。
この日本ですでに暮らしていることは圧倒的な強みなんです。

日本はサービスが行き届きすぎてて、世界でも異常です。
アメリカやヨーロッパとかと比べても、サービスや品質に関して、日本は圧倒的に凄いですよ。

そんな中でずっと過ごしてきた我々の目は、世界水準では異常に肥えているんです。

ルワンダとかスリランカとか行った後に、日本に戻ってくると、「ここで一体何を売ればいいっていうんだ」って思います。
必要なものはもう全部揃っているじゃないか、と。

そんな環境で当たり前に育ってきた僕らからしたら、海外に出ていくことってチョロいんです。

■グローバルのチョロさを、もっと声高に

グローバルってチョロい。

それをもっと声高に言う人が増えないといけないなと、僕は思っています。

「仕事を休んで海外回っていただけのお前に何が分かる」という批判をもらったりもしました。
もちろん、実際に海外に根を張ってビジネスをしている人たちには、壮絶な日々を乗り切って、何とか生計を立てられるようになった人も少なくないと思います。それも理解しています。そうした方々の努力をどうこう言うつもりは一切ありません。

でも、そういう逸話ばかりが喧伝されると、若い人たちはますます「快適な日本を出てまで、そんな苦しい思いをする必要がない」と萎縮してしまうと思うのです。

英語教育の充実化だ、異文化交流の促進だ、それも否定はしません。
でも、それらによって、「グローバル」ってものが、なんだか凄く大変なもののようなイメージになってると思うんです。

そういう大人たちに惑わされすぎず、もっと気楽に考えましょう。


チョロいと思うと、肩の力抜いて行けるでしょう。それって、コミュニケーションにも意外と大事なんですよ。


始めに話した「教室にしかいたことのない人」の例と同じです。

教室の外に怖い人なんていないですよね。

海外も似たようなもんです。私も南アフリカに行く前は、無茶苦茶ビビってましたけど、いざ行ってみたら、とっても快適でした。

まずは、出ちゃえばいいんです。

どんな能力を伸ばすべきか、そんなことは、一度出てから考えればいいんです。

もう一度言います。

グローバルって、チョロい。

(※実際の講義では、ここからが本題で、ハリウッドの映画業界の話などを掘り下げていきました。
そのあたりは、また機会あれば掲載しようかと思います)